名の由来は、
枝分かれが多く曲がっていて、まっすぐの枝が
1尺にも満たないことから転訛(てんか)してとか、
聖徳太子がこの花を見てあまりにも美しいさに、
笏(しゃく)を投げて見入ったとか、
諸説ありますが、
本当の命名は、定かではありません。
石楠花 の名は室町時代から使われたようで、
” 卯月花 ” と呼ぶところもあります。
愛媛県ではその昔、
石鎚山の 白山石楠花 を行者が手折って持ち帰り、
畦(あぜ)に挿して豊作を祈る習俗があったうです。
九州の福岡と佐賀にまたがる脊振山(せぶりやま)に、
石楠花 に纏わる、こんなお話があります。
昔、肥前と筑前にまたがる脊振山の頂上に
“べんじゃあさん(弁天様)”という姫神様が住んでいました。
べんじゃあさんは、英彦(ひこ)山で開かれた全国の
神様の集会に出かけました。
英彦山にはべんじゃあさんが見たことのない薄桃色の
綺麗な花が咲いていました。
1輪摘んで髪につけて水に映してみると、
とてもきれいだったので、
べんじゃあさんはその花が自分の住む脊振山にも
欲しくなり枝を折ろうとしました。
すると、英彦山の権現が現れて、
「 この石楠花の花は、
一本たりとも他所の山に持ち出すことはならん!」
と怒りました。
べんじゃあさんは仕方なく、頭につけた花も返しました。
しかし、
べんじゃあさんは石楠花をあきらめたわけではありません。
集会が終わると、べんじゃあさんは気付かれないように
石楠花の枝を3、4本折って、
長い髪の毛の中に隠して雲に飛び乗りました。
ところが、英彦山の権現の前を通りかかった時に、
べんじゃあさんの髪の毛から石楠花の花がこぼれ落ち
ました。
怒った権現も雲に乗り、
逃げる弁べんじゃあさんを追いかけました。
べんじゃあさんは、脊振山の麓の竹の屋敷のあたりで
権現に追いつかれました。
べんじゃあさんは 「 花を返します 」 と言って
一枝そこに捨てて逃げていきました。
でも権現はべんじゃあさんがまだ花を持っていることに
気付いて追いかけ、鬼ヶ鼻のあたりでべんじゃあさんを
追いつめました。
べんじゃあさんは仕方なくシャクナゲを全部そこに置いて
頂上へ戻って行きました。
それで、脊振山の頂上には1本もないシャクナゲが、
竹の屋敷や鬼ヶ鼻周辺に咲くようになりました。
脊振村の浄徳寺(じょうとくじ)は、
別名石楠花寺とも呼ばれ、弁財天が英彦山から
持ち出したという 石楠花 の木があります。
樹齢は350年とも500年ともいわれ、
見事な花を咲かせる開花時には、
たくさんの人々が訪れるそうです。