春の庭は、次から次へと趣(おもむき)を替えてくれます。
庵の庭は、木蓮も咲き終わり
ハナミズキの咲く木の下に、
4色の牡丹の花が咲き出しました。
牡丹 は、
「百花王」,「花王」,「花神」,「花中の王」,「百花の王」
などの別名があるように、
まさに “ 王者の風格 ” を醸(かも)し出しています。
能楽の世界では、
牡丹と云えば、五番目物 “ 切能 ” の 《 石橋(しゃくきょう) 》
でしょう
牡丹の花がついた台が2台、舞台上に置かれます。
これが 《 石橋 》 を表します。
平安時代の中頃(一条天皇の頃)、
三河守(みかわのもり)を退官した大江定基(ワキ:助演者)は
出家して寂昭(じゃくしょう) 法師と名乗り、中国・インドの
仏教遺跡を巡ります。
中国の清涼山(しょうりょうぜん)[現在の中国山西省]にある
石橋 のほとりにやって来ます。
石橋とは現世と浄土を繋ぐという有名な橋と聞いて
いたので、これがその橋かどうか人に尋ねようと、
誰か来るのを待っていると、
一人の【童子(どうじ)】(前ツレ)が現れます。
⇐ 【童子】の面
【童子】は神性を持った
少年神の化身として現
れます
祐門会HPより ↑
【童子】は、橋の向こうは文殊菩薩の住む
浄土といわれる清涼山であると教えます。
寂昭法師がその橋を渡ろうとすると、
この橋は人間が渡した橋ではなく自然と現れた
もので、幅一尺(30cm)も無く、苔が生えて滑り易く、
千丈あまり(約3km)におよぶ谷の深さを見れば
足がすくみ、気を失うほどで、並の修行者では
渡れぬ橋だと説きます。
橋の向こうは花降り、
音楽が聞こえる文殊菩薩の浄土であるが、
その音楽が夕べの雲とともに聞こえてきたので、
ここで待てばやがて菩薩如来が現れるだろう
と言って立ち去ります。
寂昭法師が待っていると、
やがて、橋の向こうから文殊菩薩の足元を守る
百獣の王の獅子(シテ:主役)の親子が現れます。
石橋(観世)_「能の世界」(平凡社)より ↑
⇐ 親獅子の
【獅子口(ししぐち)】の面
白頭(しろがしら)を付けた
親獅子の舞 ⇒
能面の風姿(東方出版)より ↑
⇐ 【小獅子(こじし)】の面
赤頭(あかがしら)を付けた
小獅子の舞 ⇒
能面の風姿(東方出版)より ↑
香り高く咲き誇る百花の王・牡丹の花に戯れ、
石橋の上で獅子舞を舞ったのち、もとの獅子の座、
すなわち文殊菩薩の乗り物に戻ります。
( 文殊菩薩は獅子の背にいつも乗っていて、
文殊菩薩像の足元には必ず獅子がいます )
獅子舞は各地に残っています。
歌舞伎でも能 《 石橋 》 をもとにした
「鏡獅子」、「連獅子」などは人気曲ですよネ
先月の “ 春の嵐 ” で折れた牡丹の蕾は、
とうとう開きませんでした。
きっと、
開花する力が残って無かったんでしょうか? (>_<)
でも、
“ 雅勒の庵 ” の庭の牡丹は見事の咲き誇って
いますヨ~
花芯がほんのりとピンク色の白の牡丹
落ち着いた色合いが “ 親獅子 ” に象徴されます。
「太陽」と云う品種の深紅の牡丹
情熱的な赤が、荒々しい “ 小獅子 ” に象徴されます。
折れた枝は、この牡丹ですが、
咲いたとしてもこの色合いは出なかったでしょうネ~
ピンク色の牡丹
紫色の牡丹
牡丹の花は、雨に弱いので ・ ・ ・
唐傘で無くて、すみません m(_ _)m
今はまだ蕾ですが、
1~2週間ほど遅れて
黄色の牡丹も咲きますヨ~
(昨年の画像)
《 石橋 》 は、能楽の五番立ての演能のあとに
めでたく結ぶ意で添えられる祝儀の曲でもあります。
雅勒の拙いブログ 『雅勒の散歩路』 も、
5月で一周年を迎えます。
- 口 上 -
いつもご来訪ありがとうございます。
昨年の5月16日に最初のブログ記事を載せてから、
もうじき一周年を迎えようとしています。
当初、ホームページ 『 雅勒の庵 』 を開設しましたが、
能面・狂言面も奥が深く、色々と学んだ事や補足的な事など
日々の “ 憶え書き ” のつもりでグログも開設しました。
又、能面師・雅勒の日常を、好きな花木を通して知って頂く為
の情報発信としても使わせて頂いてます。
これからも、
拙い文章で、マイペースで掲載していきますので、
「 隅から隅まで、ずずずいーーー っと
宜しくお願い申し奉り ます 」
< シリーズ : 能と面と花 >
・ 第2回 能楽「桜川」と桜 ’11 4/ 1
・ 第1回 能楽「東北」と梅 ’11 3/11
< 過去の牡丹関連記事 >
・ 嬉しい兆し ’11 4/28
・ 花に嵐 ’11 4/19
庵の庭は、木蓮も咲き終わり
ハナミズキの咲く木の下に、
4色の牡丹の花が咲き出しました。
牡丹 は、
「百花王」,「花王」,「花神」,「花中の王」,「百花の王」
などの別名があるように、
まさに “ 王者の風格 ” を醸(かも)し出しています。
能楽の世界では、
牡丹と云えば、五番目物 “ 切能 ” の 《 石橋(しゃくきょう) 》
でしょう
牡丹の花がついた台が2台、舞台上に置かれます。
これが 《 石橋 》 を表します。
平安時代の中頃(一条天皇の頃)、
三河守(みかわのもり)を退官した大江定基(ワキ:助演者)は
出家して寂昭(じゃくしょう) 法師と名乗り、中国・インドの
仏教遺跡を巡ります。
中国の清涼山(しょうりょうぜん)[現在の中国山西省]にある
石橋 のほとりにやって来ます。
石橋とは現世と浄土を繋ぐという有名な橋と聞いて
いたので、これがその橋かどうか人に尋ねようと、
誰か来るのを待っていると、
一人の【童子(どうじ)】(前ツレ)が現れます。
⇐ 【童子】の面
【童子】は神性を持った
少年神の化身として現
れます
祐門会HPより ↑
【童子】は、橋の向こうは文殊菩薩の住む
浄土といわれる清涼山であると教えます。
寂昭法師がその橋を渡ろうとすると、
この橋は人間が渡した橋ではなく自然と現れた
もので、幅一尺(30cm)も無く、苔が生えて滑り易く、
千丈あまり(約3km)におよぶ谷の深さを見れば
足がすくみ、気を失うほどで、並の修行者では
渡れぬ橋だと説きます。
橋の向こうは花降り、
音楽が聞こえる文殊菩薩の浄土であるが、
その音楽が夕べの雲とともに聞こえてきたので、
ここで待てばやがて菩薩如来が現れるだろう
と言って立ち去ります。
寂昭法師が待っていると、
やがて、橋の向こうから文殊菩薩の足元を守る
百獣の王の獅子(シテ:主役)の親子が現れます。
石橋(観世)_「能の世界」(平凡社)より ↑
⇐ 親獅子の
【獅子口(ししぐち)】の面
白頭(しろがしら)を付けた
親獅子の舞 ⇒
能面の風姿(東方出版)より ↑
⇐ 【小獅子(こじし)】の面
赤頭(あかがしら)を付けた
小獅子の舞 ⇒
能面の風姿(東方出版)より ↑
香り高く咲き誇る百花の王・牡丹の花に戯れ、
石橋の上で獅子舞を舞ったのち、もとの獅子の座、
すなわち文殊菩薩の乗り物に戻ります。
( 文殊菩薩は獅子の背にいつも乗っていて、
文殊菩薩像の足元には必ず獅子がいます )
獅子舞は各地に残っています。
歌舞伎でも能 《 石橋 》 をもとにした
「鏡獅子」、「連獅子」などは人気曲ですよネ
先月の “ 春の嵐 ” で折れた牡丹の蕾は、
とうとう開きませんでした。
きっと、
開花する力が残って無かったんでしょうか? (>_<)
でも、
“ 雅勒の庵 ” の庭の牡丹は見事の咲き誇って
いますヨ~
花芯がほんのりとピンク色の白の牡丹
落ち着いた色合いが “ 親獅子 ” に象徴されます。
「太陽」と云う品種の深紅の牡丹
情熱的な赤が、荒々しい “ 小獅子 ” に象徴されます。
折れた枝は、この牡丹ですが、
咲いたとしてもこの色合いは出なかったでしょうネ~
ピンク色の牡丹
紫色の牡丹
牡丹の花は、雨に弱いので ・ ・ ・
唐傘で無くて、すみません m(_ _)m
今はまだ蕾ですが、
1~2週間ほど遅れて
黄色の牡丹も咲きますヨ~
(昨年の画像)
《 石橋 》 は、能楽の五番立ての演能のあとに
めでたく結ぶ意で添えられる祝儀の曲でもあります。
雅勒の拙いブログ 『雅勒の散歩路』 も、
5月で一周年を迎えます。
- 口 上 -
いつもご来訪ありがとうございます。
昨年の5月16日に最初のブログ記事を載せてから、
もうじき一周年を迎えようとしています。
当初、ホームページ 『 雅勒の庵 』 を開設しましたが、
能面・狂言面も奥が深く、色々と学んだ事や補足的な事など
日々の “ 憶え書き ” のつもりでグログも開設しました。
又、能面師・雅勒の日常を、好きな花木を通して知って頂く為
の情報発信としても使わせて頂いてます。
これからも、
拙い文章で、マイペースで掲載していきますので、
「 隅から隅まで、ずずずいーーー っと
宜しくお願い申し奉り ます 」
< シリーズ : 能と面と花 >
・ 第2回 能楽「桜川」と桜 ’11 4/ 1
・ 第1回 能楽「東北」と梅 ’11 3/11
< 過去の牡丹関連記事 >
・ 嬉しい兆し ’11 4/28
・ 花に嵐 ’11 4/19