とその父の観阿弥(かんあみ)によって
大成され現代に受け継がれています。
世阿弥の著書 『 風姿花伝 』 では “ 花 ” という
言葉を広範囲に、様々な意味で使っています。
たとえば、観客に感動を与える力の “ 花 ” 。
少年は美しい声と姿をもつが、
それは「時分の花」に過ぎなく、能の奥義である
「まことの花」は心の工夫公案から生まれるもの
と説いています。
また、
「花と面白きと珍しきと、これ三つは同じ心なり」
とも言っています。
人が舞台を観て発見する「珍しさ」、この感動が
「花」であり「面白さ」でもある ・ ・ ・ と
「時分の花」、「声の花」、「幽玄の花」。
これらの “ 花 ” は人の目にも見えるものであり、
その芸より出てくる花であり、自然に咲く花のごとく、
やがてまた散り失せる時が来る。
能面を打つ側にとっても奥深く、参考になる教えです。
このシリーズでは、
雅勒の庵に咲く “ 花 ” をテーマに能楽について
語ってみましょう。
第一回目は、今や盛りの 『 梅の花 』 です。
今年は寒さのせいか、
花持ちが良く、紅白が揃って競うように咲いています。
三番目物(鬘物)の【東北(とうぼく)】は、
梅の木陰で見る春の夢に、
和泉式部が歌を詠み舞を舞います。
月岡耕漁の能絵
春の都を訪れた旅の僧が、
東北院(とうぼくいん)に咲き誇る梅の花に心を留めます。
そこに一人の女(前シテ)が現れて、
「それは和泉式部の愛した軒端(のきば)の梅」と教え、
自分は梅の主(あるじ)と云って消えてしまいます。
⇐ 梅の主が掛ける
《小面》
(前場と後場で
使われます)
その夜、梅の木陰で読経する僧達の前に、
和泉式部の霊(後シテ)が姿を現して読経に感謝して
今は歌舞の菩薩となったと語り、和歌の徳を述べて
優雅な舞を舞います。
春の夜の 闇はあやなし 梅の花
色こそ見えね 香やはかくるる
躬恒
そして、僧の夢が覚めるのでした。
近年では、お花見と云えば桜ですが
遠い昔は
“ 花 ” といえば梅をさすほうが多かったそうです。
梅と桜、少しずれて咲いてくれて良かったです (^‐^)v
メインHP「雅勒の庵」の “ 四季の庭_冬 ” でも
“ 梅の花 ” が観られますヨ ⇒ こちら
能・狂言面の詳細説明はHP『雅勒の庵』の「作品展示室」
(http://www.net1.jway.ne.jp/k_garoku/gallery.html)
を覗いてみて下さい。