江戸時代、能は一日の興業で狂言をはさんで五番(能は一番、二番と数える)行われるのが本式だったそうで、神・男・女・狂・鬼と、内容によって演能の順が決まってました。

これを“五番立”といい、演能順を決めるものでもあり
、能の作品を大まかに分ける分類法でもあるわけです。


その一番目物として、神を主人公にした“神能”が演じられ「脇能(わきのう)とも呼ばれます。
(前回解説の『翁』は一番目物の前に演じられる儀式です。)

その中で、結婚式でよく謡われる『高砂(たかさご)は一般の人にも馴染みがある演目でしょう。



平安時代前期の延喜(えんぎ)の頃。
九州から都にのぼってきた阿蘇神社の神主・友成一行は、高砂の浜辺に立ち寄り、松の落葉を掃く老夫婦に出会います。

老夫婦は国を隔てている高砂の松住吉(すみのえ)の松が何故、“相生(あいおい)の松(夫婦の松)と云われているのかを語ります。

「実は自分たちも住吉(すみのえ)と高砂に離れて暮らす夫婦だが、心が通っていれば遠く離れて暮らしても夫婦であることに変わりないと話し、松もまた同じだ」と  ・ ・ ・

koushijyo
⇐ 前シテの老人の掛ける
   小牛尉(こうしじょう)の面

uba




     
       前ツレの老女の掛ける
      (うば)の面
 ⇒



   前場の落葉を掃く老夫婦
           19980626_2
                ↑ 
深見東州氏のHPより
                      使わせて頂きました


さらに詳しく聞きたいと言う友成に、我ら夫婦はそれらの松の精なのだと正体を明かし、住吉(すみのえ)で待とうと告げて小舟に乗って姿を消します。



友成らが月夜に船を出し、住吉(すみのえ)の浜辺にやってくると、西の波間から住吉(すみのえ)明神(みょうじん)が現れます。
明神は長寿をほこる松のめでたさを称え、平和な世を祝福する舞を舞います。

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 ⇐ 後シテの住吉明神の掛ける
    
邯鄲男(かんたんおとこ)
    の面







   後場の住吉(すみのえ)明神の舞
           19980626_1
                ↑ 深見東州氏のHPより
                      使わせて頂きました



『高砂や、この浦舟に帆を上げて、
            この浦舟に帆を上げて、
 月もろともに出で潮の、波の淡路の島影や、
                 遠く鳴尾の沖過ぎて、
はや住吉(すみのえ)に着きにけり、
              はや住吉に着きにけり』
 
は結婚披露宴
の定番の一つで、唄には、夫婦和合のハウツーの意味があるようです。





能面の詳細説明はHP『雅勒の庵』の「作品展示室
http://www.net1.jway.ne.jp/k_garoku/gallery.html
                  を覗いてみて下さい。

       < シリーズ : 面(おもて)から観る能楽 >
                         第1回  能楽「翁」と面  ’10 8/18