庵の庭の 石楠花(しゃくなげ)が満開です。

P5060483



名の由来は、

枝分かれが多く曲がっていて、まっすぐの枝が

1尺にも満たないことから転訛(てんか)してとか、

聖徳太子がこの花を見てあまりにも美しいさに、

(しゃく)を投げて見入ったとか、
笏






諸説ありますが、

本当の命名は、定かではありません。



石楠花 の名は室町時代から使われたようで、

卯月花 と呼ぶところもあります。

P5060485


愛媛県ではその昔、

石鎚山の 白山石楠花 を行者が手折って持ち帰り、

(あぜ)に挿して豊作を祈る習俗があったうです。



九州の福岡と佐賀にまたがる脊振山(せぶりやま)に、

脊振山











石楠花 に纏わる、こんなお話があります。


  昔、肥前と筑前にまたがる脊振山の頂上に
  “べんじゃあさん
弁天様”という姫神様が住んでいました。

PB200044











  べんじゃあさんは、英彦(ひこ)山で開かれた全国の
  神様の集会に出かけました。

  英彦山にはべんじゃあさんが見たことのない薄桃色の
  綺麗な花が咲いていました。

  1輪摘んで髪につけて水に映してみると、
  とてもきれいだったので、
  べんじゃあさんはその花が自分の住む脊振山にも
  欲しくなり枝を折ろうとしました。

  すると、英彦山の権現が現れて、
  「 この石楠花の花は、
     一本たりとも他所の山に持ち出すことはならん!」
  と怒りました。

  べんじゃあさんは仕方なく、頭につけた花も返しました。

  しかし、
  べんじゃあさんは石楠花をあきらめたわけではありません。

  集会が終わると、べんじゃあさんは気付かれないように
  石楠花の枝を3、4本折って、
  長い髪の毛の中に隠して雲に飛び乗りました。

  ところが、英彦山の権現の前を通りかかった時に、
  べんじゃあさんの髪の毛から石楠花の花がこぼれ落ち
  ました。

  怒った権現も雲に乗り、
  逃げる弁べんじゃあさんを追いかけました。

  べんじゃあさんは、脊振山の麓の竹の屋敷のあたりで
  権現に追いつかれました。

  べんじゃあさんは 「 花を返します 」 と言って
  一枝そこに捨てて逃げていきました。

  でも権現はべんじゃあさんがまだ花を持っていることに
  気付いて追いかけ、鬼ヶ鼻のあたりでべんじゃあさんを
  追いつめました。

  
べんじゃあさんは仕方なくシャクナゲを全部そこに置いて
  頂上へ戻って行きました。

  それで、脊振山の頂上には1本もないシャクナゲが、
  竹の屋敷や鬼ヶ鼻周辺に咲くようになりました。


脊振村の浄徳寺(じょうとくじ)は、

別名石楠花寺とも呼ばれ、弁財天が英彦山から

持ち出したという 石楠花 の木があります。

樹齢は350年とも500年ともいわれ、

見事な花を咲かせる開花時には、

たくさんの人々が訪れるそうです。