雅勒の庵 の近くには、
茨城キリスト教大学があります。

その大学の図書館は、
地域住民にも解放されているので、図書館利用の手続きに行きました。

そこで、思いがけなく、
能楽をテーマにした論文に出会いました。

斎藤澄子先生の
能楽「羽衣」にみる日本的癒しの構造 と云う、論文が当大学の紀要に掲載されていたのです。




能の多くは、妄執もうしゅう : 成仏を妨げる虚妄の執念 を語りかける亡霊を主人公(シテ)にしています。

でも
羽衣(はごろも) はそういう妄執の世界とは無縁で、
なお且つ、能のあらゆる要素が完全にとけあった
能楽のスープ
とも云われるほど、“ 安らぎを与えてくれる   能の一つと云われています。


「能百十番」(平凡社)_羽衣
「能百十番」(平凡社) より





各地方に伝わる  羽衣伝説 では、
天から降りてきた天女が羽衣を隠されてしまい、泣く泣く人間の妻になる と云う人間の悲哀や葛藤が語られています。

しかし、能楽の 羽衣 は、
純粋さ、清らかさ、清々しさ、爽やかさ、華やかさなどへの人間の憧れを天女に仮託してそのままに表現されています。

そこが、
この舞台を見るものに安らぎと清々しい高揚感を与えてくれるのではないかと思います。




斎藤澄子先生の論じる 日本的癒しの構造 とは

 ・ 日本的情景と情緒
 
   近頃の銭湯の激減で、見る機会が無くなくなった、
   三保の松原からの富士山の絶景こそが “日本的情景
   の象徴とも云え、
   観客の心をつかむ最大の要因になっている。
 三保の松原










 ・ 天女の純粋無垢さに呼応する人間の良心
 
  
羽衣伝説では、人間のエゴイズムに巻き込まれる
   天女の姿の悲惨さに比べ、
   能の天女は、人に対してまったく不信感を抱かずに
   純粋無垢な姿を見せている。
 
   漁師の白竜(はくりょう)の、人間らしい欲や疑いを
   持ちながら、正されてその非を認めて直ちに
   善処出来る姿の潔(いさぎよ)さ。

  
 ・ 舞いの美しさ
 
   曲舞(くせまい)は、ゆったりとしたテンポの中に、
   ほのぼのとした春の風情を漂わせており、
   序ノ舞では、ゆっくりとした明るく静かな美しい
   天女の舞いを見せる。
   そして、急テンポな破ノ舞で舞台は終わる。

   この“羽衣”の舞いを観ることで、普通以上の
   達成感と充実感、さらには至福感や高揚感が
   得られる。
   
  


この三っの要素で構成されている 羽衣 なのだだそうです。


特に、
「いや疑いは人間にあり、天に偽りのなきものを」と云う、素晴らしい言葉に裏付けされるこの能のストーリーは、

人間関係に悩む人にとってのマイナス効果を払拭して、“ 癒し ” の効果をもたらすものだそうです。




今年も後わずかとなりましたが、
3月の大震災で、今でも色々な心を悩まされている人達が多くおられると思います。

来年4月の定例能面展には、
この 癒し ”  をテーマにした能面を出展してみようかと思います。






      
 能【 羽衣 】の物語は過去記事を覗いて下さい。
 

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  ・ 能楽「羽衣」と面(おもて)   ’10 12/1   ☞ こちら